物語とナラティヴ

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明日へのモノガタリ(8): ノーブラ - 野中

2024/04/19 (Fri) 09:49:43

何だか「ノーブラ」がトレンドに挙がっています。
僕は素朴に『ノーブラもノーブル(高潔)』と思っています。
女はこんな服装で、男はこんな服装で、という縛りは、
人を不幸にすると思います。

服飾や化粧は、その人のモノガタリの反映であるべき
なのですが、今の時代はまだ『近代』を抜け切っていないせいか、
「服を着せられ、化粧させられている」人が多すぎる
ように感じています。

外見がどんなに良くても、その人のナラティヴ(個のモノガタリ)
が貧弱なら、魅力は感じられません。つまり、「服を着せられ、
化粧させられている」人には、魅力がないと僕は思います。

ディズニー・パークで、ミッキーやミニーのグッズを
付けている人がよく居ます。とても感じのいいものです。
ディズニーのモノガタリを楽しもうという気持ちが、
そのまま形になっていて、親しみが持てるからです。

『ノーブラもノーブル』、と僕が感じるのは、その姿が
「いろっぽい」とかいうのでは決してありません。
それが、『解放感を表現したい』、というモノガタリを
反映していると思うからです。

明日へのモノガタリ(7): ミッキーの存在 - 野中

2024/04/16 (Tue) 08:35:16

ミッキーマウスは存在します。
(たとえ科学的にありえないとしても)
だって、ミッキーが存在することで、
人々が「幸福」になれるからです。

オトナたちが、こう言います。
「ねえ、ちゃんと『現実』を見なさい」
その『現実』の中にミッキーのモノガタリは
含まれていません。
つまりオトナたちが間違っているのです。

ビック・バン・ビートで、タップダンスを踊る
ミッキーの姿に、涙をこらえきれないのは
ミッキーのモノガタリに深く共感しているからです。

世界の見方には二つの方法があります。
合理的な見方と、モノガタリ的な見方です。
合理的な見方とは、風景の中の『心』の要素を、
1つ1つ、排除していく見方です。
モノガタリ的な見方とは、風景の中の『心』の要素を、
1つ1つ、拾い上げていく見方です。

僕は合理的な見方には、人間の未来はないと思います。
だって、ミッキーのいない世界なんて、
ほんとに不幸ですから。

=== === === === === ===
モノガタリと人間の関わりについては、ブログの「存在とナラティヴ」
を参照してください。少し長いですが。
また、これからの時代の「平和」について、「平和な世界に向けて」
という文も載せました。ご参照下さい。
(ブログ冒頭から下にスクロールして、「存在とナラティヴ」や「平和な
世界に向けて」の題字をクリックしてください。ブログは下記から。)
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なお、エリアXの記事も含めて、ご感想などは、エリアXの返
信欄に書き込んでいただけると嬉しいです。

明日へのモノガタリ(6): ユカタン - 野中

2024/04/12 (Fri) 08:38:35

個人的な話ですが、僕はディズニーの食べ物の中で、
一番好きな食べ物は、ディズニー・シーの、
ユカタン・ソーセージドッグです。
頬張ってロストリバーデルタを歩くと、気分は探検家です。

なぜ好きかと言うと、大好きだった若い知人が、
「おれさ、あれが一番うまいって思うんだよね」と
言っていたからです。

前は、餃子ドッグがお気に入りで、安かったころは
(ずっと1個290円でした)、一気に3個食べたり
したものです。けれど、何だか値段が上がったり
(記憶では1個600円にまでなったと思います)
売り場が変わったりして、今ではあまり興味が持てなく
なってしまいました。

ユカタン・ソーセージドッグも、人気が上がりすぎると
同じように値段とか上がってしまうんでしょうか。
ちょっと心配です。

足繁くパークに通う、ヘビーリピーターに取って、
食べ物の値段には気を使います。
カスバフードコートとカントリーベアレストランの
二つのカレー屋は、(今のところ)1000円でおつりが
来る値段ですし、マイルドでとてもおいしいので、
本当に助かります。僕はカレーはあまり好きでは
なかったのですが、パークでカレーを食べているうちに
大好きになりました。

そう言えばディズニーランドが日本でオープンしたころ、
『食べ物持ち込み禁止』で、結構話題になっていたみたいです。
それと同時に、シンデレラ城の前にシートを広げ、
焼き鳥とおにぎり、ビールで、宴会を始めてしまった、
豪快な団体さん(もちろん宴会はキャストさんに中止させられました)
も、そのころは居たようです。

いずれにせよ、パークの食べ物のおいしさは、パークのモノガタリ
あってこそのものだと思います。つまりパークで食べる物には、
「パークのモノガタリ」という特別な調味料がかかっているのです。

明日へのモノガタリ(5):カンニング - 野中

2024/04/10 (Wed) 02:19:04

カンニングして人格否定された生徒が、
自殺してしまうと言う事件が起きました。
亡くなった生徒のモノガタリを想う時、
そのあまりの悲惨さに心が痛くなりました。

生徒は、所属する学校を取り巻くモノガタリを
信頼し、そこで何とか居場所を見つけようと
していたはずです。そうでなければ最初から
テストを受けることすらしなかったでしょう。

生徒はそのモノガタリの中に居たいために、
行動したのです。
ところが生徒にとって、そのモノガタリを担う教師から、
人格的に否定されてしまった。つまり、生徒が呼吸し、
生息し、日々を支えてくれていたモノガタリから、
排除されてしまったのです。
生徒のモノガタリは、完全に破壊されてしまったのです。

僕は、教育機関の役割は、生徒自身が自らのモノガタリを
豊かにしていくのを援ける、ことだと思っています。

当たり前の事ですが、教育の主人公は一人一人の
生徒の方です。教師は、生徒たちが伸びていくのを
援助することしかできないはずです。

亡くなられた生徒さんは、本当に悲しかったと思います。
心から生徒さんの魂の安寧を祈らせていただきます。

=== === === === === ===
モノガタリと人間の関わりについては、ブログの「存在とナラティヴ」
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明日へのモノガタリ(4): 新DL - 野中

2024/04/09 (Tue) 01:12:40

次のディズニーランドはどこがいいでしょう?
ディズニー・ファンなら気になるところです。
日本国内なら、北海道はどうでしょう。
新幹線もできるようですし。

北海道は、現在でも魅力ある観光地です。
それにディズニーが加わったら、もう「行くしかない」
っていう感じですね。

世界に目を向けると、一番できて欲しいのは、
ニュージーランドですね。
日本に似た国で(ただし人口は25分の1程度)
風光明媚な、美しい国です。世界で最初に、女性参政権が
与えられた国としても有名です。

ヨーロッパだと、やはりデンマークですね。
アンデルセンの母国であり、首都コペンハーゲンには
人魚の像があります。

アフリカだと、ナイジェリアかなと思います。
人口は2億人を超え、アフリカ最大です。
経済力も南アフリカを超えて、アフリカ経済を引っ張って
います。

世界の至る所にディズニーランドが出来て、
「モノガタリ」を広めていって欲しいなと、
思うのは、僕だけではないでしょう。

明日へのモノガタリ(3):橋 - 野中

2024/04/08 (Mon) 03:13:21

ディズニー・パークは、誤解されています。
ディズニー・パークは
とてもとても楽しい場所ですが、その楽しさは、
刹那的なものではなく、明日に繋がるものなのです。

ディズニー・パークの楽しさは、
いろいろなモノガタリに触れる楽しさです。
その楽しさは、人間が(ひいては生命が)
普遍的に感じる、根源的な楽しさなのです。

ディズニー・パークに行った人は、
多様なモノガタリに触れて、「楽しさ」を味わいます。
その経験は、その人自身のモノガタリを豊かにし、
力強く生きて行く糧となります。

社会全体として見れば
ディズニー・パークは、人間に「モノガタリ」の大切さを
気付かせてくれる、貴重な場所です。

僕は「モノガタリ」こそが、人間の未来にとって
最も大切なものだと考えています。
だから、たくさんのモノガタリで満ちた
ディズニー・パークは、人間にとって、
明日に向かって進む、「橋」のような存在だと思うのです。

僕たちはこの橋を渡って、未来へと、向かって行くのです。

明日へのモノガタリ(2): 解放者 - 野中

2024/04/06 (Sat) 23:59:38

ウォルト・ディズニーは、生涯で多くのことをしましたが、
端的に言えば、彼がやったことは、ただ一つです。
それは・・・<<<「モノガタリの解放」>>>
そう、彼は「モノガタリ」たちを現生に解き放ったのです。

まずウォルトは、モノガタリたちを呼び集めました。
「不思議の国のアリス」「オズワルド」「ミッキーマウス」
「ドナルドダック」「白雪姫」「バンビ」「ピノキオ」など・・・
ディズニー映画の数々です。

そして今度は、それらモノガタリたちと、現実世界との
位相を一気に逆転させることで、モノガタリが生き生きと
乱舞する空間を作り上げました。
それが、ディズニーランドです。
彼は呼び集めたモノガタリたちを、そこで解放しました。

1955年にオープンしたディズニーランドが、なぜ
「魔法の王国」と呼ばれたのか。それはモノガタリたちを
地上で解放することに成功したからです。
「動物園」と比較すると分かりやすいでしょう。
動物園には、生きた動物たちがいます。
それと同じで、ディズニーランドには、
生きたモノガタリたちがいるのです。

ディズニーランドが出来たことで、人間は変わりました。
モノガタリが解放され、「確実に幸福になれる場所」が、
人間に与えられたのです。

明日へのモノガタリ(1): すずめの戸締り - 野中

2024/04/06 (Sat) 03:06:37

「すずめの戸締り」を見ました。
おだやかな感動が、ひたひたと押し寄せて来ました。
この、『明日へのモノガタリ』の冒頭にふさわしいと
しみじみ思いました。

新海誠さんの作品はいつも、風景に対する
細やかな愛情にあふれていて、それだけでも十分に
感心させられますが、この「すずめの戸締り」では、
これまで以上に味わい深い表現になっていて、
それがまたテーマ自体と見事に重なって、
(もちろんこの「テーマ」は、僕が勝手に感じ取ったもので
何を感じるかは人によって違うのでしょうが)何とも
凄みのある作品になっています。

このような深い感動を与えていただいたことに
心から感謝したいと思います。

今日のモノガタリ・330:最終回 - 野中

2024/04/02 (Tue) 11:27:38

ほぼ1年間に渡って、この「今日のモノガタリ」を
続けて来ましたが、本日で最終回とさせていただきます。
五日ほどお休みをいただき、その後、
『明日へのモノガタリ』として新しいシリーズを開始します。

去年からほぼ丸一年、毎日投稿、という形でやってみましたが、
なんというか、全体的に中途半端だったというのが、
正直な所でした。

今後はもっとしっかり未来を見据えて、
なおかつ楽しく、やっていきたいと思い、
標題を『明日へのモノガタリ』に換えて、
がんばりたいと思います。
これまでお付き合い下さってありがとうございます。
そして、今後ともよろしくお願いいたします。

=== === === === === ===
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を参照してください。少し長いですが。
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今日のモノガタリ・329:四月 - 野中

2024/04/01 (Mon) 04:41:11

今日から四月です。四月と言うと思いだす名前があります。
アメリカのペーパーバック作家、カーターブラウンの、
アル・ウィーラー・シリーズに出て来る
「エイプリル・シャワー」という女の人です。

カーター・ブラウン(Carter Brown、1923年 - 1985年)
アメリカを舞台にミステリーを書いていますが、
ロンドン育ちのオーストラリア人です。
非常にたくさんの作品を書いていますが、どれも
軽妙で、テンポが良く、ある意味典型的な
ペーパーバックの作家だと言えるでしょう。

日本語への翻訳は、多くの人がやっていますが、
代表的なのはやはり、田中小実昌さんでしょう。
カーター・ブラウンの『軽さ』をとてもうまく
言葉にのせていたと思います。
田中小実昌さんは、自らも小説を書かれる人で、
井伏鱒二さんを現代的にしたような、独自の
ものを持っていたと思います。

エイプリル・シャワー(四月の驟雨)さんは、とても人が良く、
陽気でかわいくて、まあ、私立探偵アル・ウィーラーの
理想の女の人みたいです。

でも、よく考えれば、そんな人いる訳ないですよね。
ありえないほど人が良くてセクシーで可愛い。
そう、まるで『エイプリル・フール』みたいな人なんです。

今日のモノガタリ・328:闇 - 野中

2024/03/31 (Sun) 04:28:49

日頃、『明るい話』を中心に掲示しているので、少し疲れました。
たまにはホンネを、というわけで、『モノガタリの闇』みたいな
『対話』を、掲載することにしました。
あまり楽しいとは言えないと思いますが、まあ気が向いたら
読んでみて下さい。
H・・・男の人。発言は「…」 で示します。
U・・・女の人。発言は『…』 で示します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<発端>>
「だからさ、オレは思うんだ。オレたちはなぜこんなふうに中途半端なことばかりやってきてしまったんだってさ」
『そうよね。なにかものすごく行儀よくなっちゃったもんね』
「うん。オレたちはもっとずっと極端な、スッキリした話をしたかったはずなんだよ」
『どうしてこんなふうになっちゃったの』
「まあ、モノガタリがそれだけ難しいっていうわけさ」
『難しいのは分かるけど、それをちゃんと背負わずに、口当たりのいいコトバでごまかし続けてきたってことよね』
「そうだな、だったらこの際、膿を出してしまおうぜ」

<<死について>>
『結局ね、わたしたちって、「死」の意味から逃げていたっていうことなんじゃないの?』
「そうかな。そうでもないと思うぜ。だってさ、オレたちは『死』のデータを全く持っていないじゃないか。知らないことを追究するわけにもいかないぜ」
『わたしが言いたいのはそこじゃないのよ。わたしたちが結局、「死」そのものから逃げていたんだと思うのよ。もっと切実に「死の運命」について、問いかけて行かなければ、本当の事は分からないと思うの』
「うーん、それってひょっとして『死の死』について、もっと積極的に議論しろっていうことなのか・・・あんた『死の死』について、どう思う?」
『「あんた」って何よ。いつからわたしは、キミとそんなに近いポジションになっちゃったの?・・・いい加減にしてよ』
「うげっ、わかりましたよ女王様、けどさオレだって少しは物を考えてるんだ。そんなゴミみたいな言われ方しなくていいだろ」
『はいはい分かったわ。それで「死の死」ね。つまり死という事実がなかったことにされるような時が来たっていうことでしょ?』
「そうだぜ。それってものすごく危険なことだぜ。『考える生命』としての、切り札的な武器がなくなっちゃうってことだからさ」

<<死についての対話>>
『なーにその悟ったような言い方。もっと「死」を怖がりなさいよ』
「うーん、そうだよな。たしかに、じゃないと誰かが言っていた『昨日甦りし者の如く、今日を生きよ』なんていうコトバもさ、全然迫力ないぜ」
『だからさ、あんた何言ってんの、迫力ないのはあんたじゃないの』
「はははっ、まあそうだね。オレってさ、アホな割に、妙に悟っちゃってるからね。人の死は耐えられないぐらい悲しいけど、オレ自身の死はさ、あんまり悲しくないのさ」
『まあ、十分生きて来たものね。でも飽きてきたわけじゃないのよね』
「そうだぜ。少しずつ気力も回復してきたしね。もう少ししたら、女王様に勝てるかも知れない」
『そうよね。あんたバカだけど、パワーだけはあったから』
「ああ。なら、何とか『死の死』を、死の意味と一緒に考えて見よう」
『でさっ、「死の死」ってホントに来るの?』
「来るよ。まあ本格的にはあと100年ぐらいかかるかな。でもそれはじわじわとやってくる。そしていつか……」
『待って待って! 慌てないで、まず死の意味から考えない?』

<<死の意味>>
「まあいいけど、死なんてさ、オレにはありきたりすぎて、うーんいまさらなんだよな」
『違うよ、あんた逃げてるだけでしょ。ずるいし、怠惰だし』
「いやオレは少なくとも『死』に対してはマジメに向かい合ってるぜ。たとえば、『昨日甦りし者の如く、今日を生きよ』なんて、結構実践してるしさ」
『ポーズだけよ。あんたが言い訳ばかりのバカだなんて、もう分かりきってるもの』
「おいおい、そう追い詰めるなよ女王様。オレだって生身のニンゲンなんだし、四六時中死を意識の中に置いておくわけにもいかないんだ」
『わかったわよ、カンベンしてあげる。それにここで「死の意味」と言っても、あなたにとっての死、ではなく、社会にとっての死、という意味だから』
「うーん。そうだな。社会の中で『死』ぐらい、いい加減に扱われているコトバもないしな」
『死んだらおわり。そう思っちゃってる人は多いわよね』
「それはさ、合理主義のせいだろ。死んだ後の世界なんてさ、誰も見た事ないしさ、合理主義者は、見えるものについては必死で、どうしてそう見えるのか考えるくせにさ、見えないものについては、あっさり『そんなものはない』って切り捨てちゃうからね」
『つまり「死」は今の合理主義がはびこる世界では無意味なものになっちゃってるのよ』
「死が終わり、の時代は、本当に不幸な時代だよな」
『あんたは、「リメンバー・ミー」っていう映画を知ってる?』
「ああ、知ってるよ、女王様。ちょっと前のディズニー映画だろ」
『そうなの。あの世とこの世と、行き来する物語なの』
「そうか、モノガタリは『死』で終わりじゃないからな」
『そう。それでね、モノガタリがあるっていうことは、実際に「死」の世界が、確実にあるっていうことなのよ。どれだけ悲惨で無残で苦しいとしても』
「なるほどね、じゃあさ、今の時代ってさ、とにか『死』を意識の外に追いやるだけで、真剣に死と向かい合ってはいないんだよな」
『そうなの。だから死は今の時代では、ピリオドでしかないのよ』
「うーん。オレはもっときちんと、『死』を捉えないと、ちゃんとした社会なんて出来ないと思うけど。

<<死の死の事態>>
『それでさ、「死の死」なんていう問題が出て来るのよ』
「それって、死を遠ざけようとして『死なないニンゲン』になろうって言う、なんか気味悪いやつだよな」
『でもそれだけじゃないの。自分のモノガタリを辿っている時、中途半端で死にたくない、っていうことあるじゃない。そういうとき、死を遠ざけたいと思うわけよ』
「ああ確かに。死が終わりでなくても、一つの切断であることは確かだぜ。だから『今はまだ死にたくない』って思うヤツは確実に居るよな」
『そう。だからね、この「死の死」は確実にやってくるのよ。でもね、「死の死」のありようは、「次のモノガタリ」があるかどうかで全然、意味が違うの』
「あっそうか。『死んだらおわり』って思っているヤツらに、『死の死』を見せつけたら、暴動が起きそうだな」
『そうなの。もしこのまま「死の死」が実現したら大変よ。生き残りたかったらお金がいる、そんなことになったら、社会は持たないわ』
「うーん。誰だって生き残るのに全力を賭けるようになっちゃったら、殺人だって平気になるよな」
『こういうことなの。人々が小さな船に乗って河を下っていく。そしてその先には断崖が待っている。それでね合理主義の人たちは、その断崖の先は「無」だと思っちゃってるの。大して考えもしないで』
「なるほど。分かったぜ女王様。要するに『死』をモノガタリの中にきちんと取り込んでいない合理主義の社会だと、醜い争いが起きて、社会が滅びてしまうっていうことだろ」
『まあ、だいたいそんなところね』
「まあ、とりあえずは、オレもきちんと『死』を見据えて、オレのモノガタリの中にしっかりとおいて置くことにするよ」
『そうね、それでいいと思うわ』
「了解だ、女王様」

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今日のモノガタリ・328:レンコン - 野中

2024/03/30 (Sat) 13:06:41

レンコン、漢字で書くと『蓮根』です。
レンコンって、ずっと「好きでも嫌いでもないモノ」
でしたけれど、あるとき、新鮮なレンコンを
食べる機会があって、あまりのおいしさにびっくりしました。
そして、それ以後大好きになりました。

レンコンって、ひょっとして「なんか変な穴の開いた芋」
みたいに思ってませんか。
でもレンコンにはレンコンのモノガタリがあるのです。

レンコンは、年々出荷量が減って来ています。
1970年代には全国で10万トンを超えていましたが、
今ではその半分ぐらいになっています。

産地で代表的なものは茨城県で、最近では50%ほどが
茨城産となっているようです。

蓮の根、なので蓮根なのですが、もちろん根ではなく、
地下茎です。空いた穴は、空気を通して、植物体に酸素を
循環させるためのものと言われています。

レンコンが誤解されやすいのは、「風味を壊して」も
そこそこ食べられてしまうために、いろんな料理に
放り込まれて、何か「普通の食べ物」として扱われて
しまい勝ちな所でがあるためのようです。

美しく咲いた蓮の花の下で、沼の底にひっそりと延びた地下茎。
その、泥の付いた新鮮なレンコンは、たまらないおいしさです。
カリコリ・サクサクとした食感、
薄く切って軽く茹で、塩をふりかけ、
レモンの汁をつけて食べれば、極楽です。

今日のモノガタリ・327:魔法使い - 野中

2024/03/29 (Fri) 02:01:39

ディズニーに行けば、みんな魔法使いになります。
「ダンボ」に乗れば、空を飛べますし、
「タートル・トーク」に行けば、
海の底で、ウミガメとおしゃべりできます。

ディズニー・パークて゜はみんな笑顔です。
魔法を使うと、ほんとに愉快です。

「ディズニー・マジック」なんて言いますが、
そうではないんです。
人は本来、みんな魔法使いなんです。

じゃあなんでディズニーにいないと、魔法が使えないのか。
それは「こわい」からです。
魔法を使うためにはモノガタリが必要です。
周囲の空間がモノガタリで満たされている時、
人は安心して魔法使いになれるのです。
けれど今はまだディズニーの「外界」では
魔法を使うと大きな傷を負いかねません。
「外界」にはモノガタリが足りないからです。

モノガタリに満たされた空間で、
魔法使いになれば、空が飛べます。
魔法使いになれば、人の心が分かります。
そこでは人は自由で、自然な笑顔で笑えます。

まあ、今は、結構「外界」は危機的状態なので、
せいぜいたくさんディズニー・パークに来て、
自身が、本当は魔法使いなんだということを
楽しみながら自覚しておいて下さい。

いつかは「外界」がなくなって、どこでも魔法を
使える、そんな日が来ることを祈りながら。

今日のモノガタリ・326:TDR - 野中

2024/03/27 (Wed) 17:37:45

トレンドに「TDRで好きなセリフ」が挙がっていました。
いろいろ考えたのですが、やっぱり
ディズニーシーのシンドバットの
「人生は冒険だ」、でしょうね。

シンドバット・ストーリーブックのアトラクションは
リニューアル前の「シンドバット七つの航海」が
ちょっと単調で、どちらかというと閑散としていたのを
引きずっているのか、意外なほど待ち時間が
少ないですが、子供のトラのチャンドゥも可愛いし、
『がばい楽しめる』(ちょっと古いかな)アトラクションです。

何よりずっと流れる音楽が良いです。
作曲は、ディズニー音楽の生ける伝説、アラン・メンケンさん。
(ジブリの久石譲さんと並んで、東西の双璧ですね)
僕はシーに行くと、時間の許す限りシンドバットに
ライドしています。

ディズニーランドで好きなのは、
アドベンチャーランドで聞こえる、
「ウェスタン・リバー鉄道は、まもなく出発いたします」
というセリフです。内容はなんて言う事のない、
アトラクション案内なんですけど、声の張りと
楽し気な抑揚で、ああ、いまディズニーランドに
また来ているんだと、しみじみ感じさせてくれる
とても素敵なセリフだと思います。

今日のモノガタリ・325:テロ - 野中

2024/03/26 (Tue) 23:37:14

モスクワのロックコンサート会場でテロが起こり、
100人以上の方々が亡くなられました。
テロは最悪の行為です。
多くの人たちのモノガタリを根底から破壊しますから。

もちろん戦争で相手の兵士を殺すのも、
決して良い行為とは言えません。
けれど戦争の場合は、「兵士として戦っている」という
モノガタリをお互いが持っているので、
相手の兵士のモノガタリを破壊したことには
(完全には)なりません。

戦争が悪いのは、上層部の問題です。
戦争を起こして、多くの人が死んでも、自らの主張を
貫きたいと思う、上層部のモノガタリが悪いのです。
彼らには自身のモノガタリしか見えていません。
悲しいことですが。

前世紀の作家、大岡昇平さんが「不慮記」の中で、
アメリカの若い兵隊を銃の照準に捉え、あとは引き金を
引くだけになった時、ふと、これで彼を殺したら、きっと
彼のおかあさんは悲しみの底に沈むだろう、などと思い、
銃を撃つのをやめた、などという著述があります。
昇平さんは、きっとその一瞬、アメリカの兵隊の
モノガタリをイメージしたのでしょう。

テロリストは、銃を乱射するとき、死んで行く被害者の
人々のモノガタリをイメージしたでしょうか。

相手のモノガタリをイメージする力、
これが世界を良くしていく力なのだと、僕は思います。

=== === === === === ===
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今日のモノガタリ・324: 二人 - 野中

2024/03/25 (Mon) 23:27:47

物語の中でもですが、個人のモノガタリ、つまりナラティヴでも
「二人」でいると、何か心が和みます。
ツインと言えば、ディズニーでは、チップとデール、
ハリーポッターではジョージとフレッドが有名ですね。

そう言えば、ロマン・ロランの小説「魅せられた魂」も
最初の章は「アンネットとシルヴィ」と言って、姉妹の
想いの寄せ合いが中心話題でした。

ところでチップとデール、および、ジョージとフレッド
の関係の違いはご存じでしょうか。
ジョージとフレッドが一卵性双生児であり、見た目も
性格もそっくりなのに比べ、チップとデールは、
大事な友人ではあるものの、見た目も性格も違っていて
それぞれのファンがいます。

僕は圧倒的にデールのファンです。なんというか、チップは
微妙にミッキー的で、デールは微妙にドナルド的なのです。
(と言って、僕は実はミッキーとドナルドだと、少しだけミッキー
寄りなんですが)

ともあれチップとデール、および、ジョージとフレッドともに、
「二人」でいることで、物語の中で大きな意味を持っています。
この二組とも、とても悪戯が好きで、いろんな悪戯を互いに、
そして他の人(キャラクター)に仕掛けますが、それに悪意を
感じさせることは、殆どありません。

ディズニーとハリーポッターのそれぞれの「おさわがせキャラ」
が、揃って「二人組」なのには、きっと大きな理由がありそうです。
アンネットもシルヴィと絡んでいるときは、すごく快活な人に
なっていましたし。

今日のモノガタリ・323: 三日間 - 野中

2024/03/24 (Sun) 07:07:24

ヘレン・ケラーという人をご存じでしょうか。
今から100年ほど前に、視覚と聴覚の重複障害者
でありながらも多くの活動と著作によって、
世界に大きな影響を与えた女性です。

ヘレン・ケラーは1880年~1968年に生きたアメリカ
の教育家、社会福祉活動家、著作家です。
生まれて約1年半ほど経った時、熱病により視覚・聴覚を
失い、「話す」能力も含めて、三重苦となりました。
(話すことについては、抑揚はないものの能力を獲得)
そののち絶え間ない勉学と訓練によって、多くの知識
と見識を得て行き、『奇跡の人』と呼ばれるように
なっていきました。
そして世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くしました。

ヘレン・ケラーのエッセイに「Three days to see」
というのがあります。
普通、「目の見える三日間」と訳されますが、
あまりいい訳ではないと感じます。
彼女にとってsee、というのは、あり得ないことで
あると同時に、熱望するもののことだからです。
ここは無理に日本語にせずに、スリーデイズ、ツウ、シー
のままの方が良いのではないかと思います。

では、彼女が見たい、と熱望したのは、何なのか?
それはサリバン先生(彼女の恩師)の姿や、演劇そして
「自然」な訳なのですが、それらの「見てみたいもの」
をチェックしていくと、読み手の方に、鋭く突きつけられる
ものがあります。それは、
「お前はきちんと世界を見ているのか?」
という問いです。

この「Three days to see」が名著である理由は、
まさにこの問いを生むからだと僕は思っています。
「見える」こと、そして「見て世界を感じる」ことは、
決して当たり前のことではなく、それ自体がある意味
「奇跡」のようなものであることを、この本は
教えてくれます。

今日のモノガタリ・322: 長編 - 野中

2024/03/22 (Fri) 21:56:23

個人的に好きな長編小説を四つだけ挙げます。
1) ジャン・クリストフ
2) ハリーポッター・シリーズ
3) 銀河英雄伝説
4) 涼宮ハルヒ・シリーズ

もちろん長編小説と言っても、普通の全3巻ぐらいのもので
気に入っている作品はたくさんありますが、全10巻程度以上
となると、この四作品が好きな作品です。(あとは、ジャン・クリストフ
と同じロマン・ロランの『魅せられた魂』も好きですが、同じ作家が
二つ重なるといやなので割愛しました)

このうち、一気に読んだのは、ジャン・クリストフと、
銀河英雄伝説で、それぞれ丸2日と丸3日ぐらい
かかりました。ハリーポッターと涼宮ハルヒは、新刊
が出るたび読んでいたので、ほぼ出版順に読んでいます。

長い小説でいいのは、その世界に完全に浸れることですね。
逆に浸れないと、どうしても読み切れなくなってしまいます。
トルストイの「戦争と平和」は、四回ほど読みかけましたが、
どうにも「浸れ」なくてやめてしまいました。

長い小説の常として、最初の数十ページが説明などで
余り面白くないことがあります。上に挙げたものだと
ジャン・クリストフと銀河英雄伝説がそうです。
僕は、何かの本で「有名な作家が、ジャン・クリストフは
最初の50ページをとりあえず飛ばして読むのがいい
と言っていた」とあるのを読んで、その気構えで、
最初のあたりを斜め読みしていたら、どっぷりと世界に
はまっていました。

僕が読んだ中で、もっとも長いのは「ペリー・ローダン・シリーズ」
です。これは、現在も製作中で、今では700巻を超えている
そうですが、僕は120巻ぐらいで、飽きてしまいました。
このシリーズは出版社が企画して複数の作家に書かせている
もので、ミステリー関係でもっと多く出版されているものも
あるようです。

しかし最近は読書時間がめっきり減りました。
以前は、風呂も食事もトイレも本と一緒で、読書の
合間に「生活」するという感じだったのですが。

今日のモノガタリ・321: 狼 - 野中

2024/03/22 (Fri) 03:10:19

個人的な話ですが、ディズニーのキャラクターで
特に好きなのは、「スミー」「デール」「イーヨ」です。
そして「ハリーポッター」の登場人物で好きなのは
ルーピン先生です。

狼は昔から多くの神話や童話の中に登場し
中でも、シートンの動物記に出て来る「狼王ロボ」
の話は有名です。
ハリーポッターの第三巻で、ホグワーツに新しく満月が出ると、
狼に変身してしまう、そういう宿命を持った、
ルーピン先生が登場します。

内容など、ネタバレになるので言いませんが、
ハリーポッターの中で僕はこの第三巻が
一番好きです。

自分が、望まないのに定期的に凶暴な狼になってしまうという
悲しい運命のルーピン先生は、とても愛情深い魔法使いです。

しかし、「ハリーポッター」というのは本当に見事に、
登場する魔法使いたちを描いていますね。

今日のモノガタリ・320: 天安門 - 野中

2024/03/21 (Thu) 04:01:43

「天安門事件」がトレンドに挙がっています。
ペキンの天安門広場をはじめ中国の各地で
「民主化」を求める多くの人々が抹殺された
悲痛な事件のことです。

今から35年ほど前のこの事件は、現在の
中国国家のモノガタリを、大きく決定づける
大きな事件でした。

中国国家のモノガタリを知るには、中国共産党の
成立時の経緯から、国民党との「合作」や「敵対」
そして紅衛兵運動を経て、天安門に至るまでの
おおよその出来事を抑えておかなければならないと
思います。

それにしても、「共産主義」を標榜する国で、なぜ
こうも数多くの迫害や虐殺が、国内でおこなわれるので
しょうか。
有名なところでは、ソビエト連邦でのスターリンの虐殺・粛清
だったり、カンボジア、ポルポト政権での大虐殺だったり。

共産主義は、ある意味、最も厳密な「近代合理主義」だと
僕は思っています。だからこそ生命を軽視できるし
常に経済的価値を最重要なものとして、扱ってしまうのです。

もちろん、社会の中の金銭的上下格差を減らしたり、
人間の経済的平等を原則にしたり、歴史的に見れば
(現在の日本の中でも)大きな役割を果たして来たと思います。

けれど共産主義をモノガタリとして捉えれば、
社会全体がその単一のモノガタリに覆われて
しまうことは、決して幸福な状態ではないと分かると思います。

今は、「近代」の断末魔の時代です。
ところが共産主義はその「近代」を無意味に延命させようとしています。
今の時代が、どうやってこの「近代」に引導を渡して
次の時代へと向かうのか、その模索をしている所だと言うのに。

「天安門事件」は、こういう共産党の悲痛なモノガタリを知る上で
とても重要だと思います。


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