物語とナラティヴ

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未来へのモノ-ガタリ(6): トランプ - 野中

2025/03/07 (Fri) 09:09:18

トランプという人は、「近代の断末魔」を
象徴する人ではないかと思います。
つまり、近代を脱して、新しい時代を目指すには、
ドナルド・トランプを打ち破る必要があります。

アメリカが歴史上最も輝いていたのは1950年あたり、
第二次世界大戦の直後、『戦争被害を受けていない戦勝国』
として、世界に君臨していた時期です。
そしてそれはドナルド・トランプの成長期とぴったり重なります。

トランプが「強いアメリカ」の復活を声高に叫ぶのは、
その頃のアメリカ白人の「居心地の良さ」を愛しているからです。

けれど「近代国家の帝王」としてアメリカが復活するのは無理です。
もはや「近代」ではなくなりつつあるからです。

人類は岐路にさしかかっています。
新しい時代「新生代」を迎えるのか、
「近代」の断末魔に巻き込まれて滅亡するのか。

その意味では「トランプ」という断末魔を
どうやって処理するかは、今後の世界にとって
とても大切な選択だと思います。

未来へのモノ-ガタリ(5): ミッキーの未来 - 野中

2025/03/02 (Sun) 05:13:59

これまで、ミッキー・マウスはいろいろに変わって来ました。
ディズニーが最初にこの世に送り出したのは、
「しあわせうさぎのオズワルド」でした。
オズワルドが著作権の関係でダメになった時、
何とかして新しいキャラクターを、と
産み出されたのがミッキーです。

生まれてすぐのミッキーは、「蒸気船ウィリー」の
ころを見れば、快活で破天荒、イタズラ好きな
愉快なキャラクターです。

それが、さまざまな経緯もあって、ディズニー・パークの
メインのキャラクターになると、良い意味で、
破天荒とかイタズラ好きといった「毒」が消え、
洗練された「いい子」になっていきます。

古いディズニー・パークの映像を見ていると
分かると思いますが、ミッキーの顔は時代が下がるにつれて
どんどん温和になっていきます。

そうミッキーは、自分勝手ではいられなくなったのです。
国の王様が、個人ではなく「王」を演じなければ
ならないように、ミッキーも「ディズニー・パークの主人公」
を演じなければならなくなっているのです。

僕は本当のミッキーは、シンデレラ城の正面にいて、
ウォルトと、嬉しそうに、恥ずかしそうにしている
パートナー像のミッキーじゃないかと思っています。
手を繋いでいる、あの姿、本当に素敵です。

ずっとずっと、そういうミッキーでいて欲しいなと
心底感じています。

未来へのモノ-ガタリ(4):近代の断末魔 - 野中

2025/02/21 (Fri) 13:27:28

現代がどういう時代かと言うと、僕は「近代の断末魔」
の時代なんだと思います。
「近代」というのは、金銭や軍事力が何にも増して
重要視される「合理主義の時代」です。

その時代が、なめらかに『新生代』に移行してくれれば、
問題はないのですが、「近代的権力」を握った人々は
なかなか承服しないみたいです。

近代の権力者たちは、握った権力を維持し、さらに
強大にするべく、全力を使います。
つまり「自国ファースト」とは、そういった「近代の権力者」
たちが、去り行く「近代」の幻影を追って、
のたうち回っている醜い姿を表現したもので、
それはまさに「近代の断末魔」を示すコトバなのです。

「近代の断末魔」は、まさに狂気一歩手前です。
その意味で「近代の権力者」たちはもはや正常でなく、
手段を択ばず、暴力的に自己の勢力を拡大しようとしてしまいます。

この時代をうまく乗り切って、「新生代」へと歴史を
進めていくためには、この「断末魔」に巻き込まれないことが
必要です。

そのためには、二つのことが必須となります。
一つは来るべき「新生代」への準備です。生命が生命として
どうありたいのか、どうあるべきなのか、近代合理主義を超えて
新しい価値観をしっかり作っていかなければなりません。
もう一つは、「断末魔」からエスケープするための方策です。
その意味で「一定以上の防衛力」は持つべきでしょう。

では、「平和憲法」は守らなくていいのか、
という話になってきます。もちろん、平和憲法は守るべきですし、
「新生代」を生み出すためにも、むしろ強化していくべきでしょう。
変えるべきは、「戦力の定義」なのです。
憲法が定められた時に比べて、核爆弾の威力が格段に上がりました。
現代の核兵器は通常兵器に比べて一千万倍の威力があります。この圧倒的
な威力の差に目をつぶって「平和」を語るのはナンセンスです。
現代においては「核兵器」だけが「武力」であり、「通常兵器」は、「警察
装備品」または「保安装備」と、考えるべきでしょう。
そう解釈すれば、日本の現在の憲法の
「戦力非保持」の原則も守れていますし、防衛予算の増加も、決しておか
しなことではない、と分かるはずです。
もちろん最小限の増加にとどめるべきですが。

未来へのモノ-ガタリ(3):土星の環 - 野中

2025/02/17 (Mon) 04:15:12

土星には、それをぐるりと取り囲むように環があります。
けれどあまり知られていませんが、土星の外側の
天王星と海王星にも、同じような環や、環の痕跡があるのです。

これは単なる想像ですが、土星などの環は、
巨大な太陽光パネルの役割があったのでは
ないでしょうか。

さらに想像を逞しくすれば、海王星――天王星――土星、の三惑星に
広がる、超古代文明が発達しており、それらの惑星に、超古代・知的生命
が居住し、その環を使って膨大なエネルギーを得て、
文明を発達させていったのではないか、などと考えられます。

環からどうやってエネルギーを得たのかは分かりませんし、
もちろん彼らがどういう形態の、どういう存在だったのかも
わかりませんが、そこに文明があった、と、考える方が
「楽しい」と思いますし、それと同じ方法で、太陽光からエネルギー
を採取できれば、地球のエネルギー問題は解決します。

未来へのモノ-ガタリ(2): 近代からの脱出 - 野中

2025/02/11 (Tue) 22:19:03

人間の歴史、というのをモノ-ガタリとして捉えれば、
現代は近代の末期と言えるでしょう。
この時代には、三つの大きな課題が待ち構えています。

一つ目は、「近代の断末魔」の問題です。
近代というのは、支配者にはとても心地の良いもののようです。
ですので支配者たちは何とかしてその枠組みを維持しようと
必死になります。これが「近代の断末魔」です。
この影響をもろに被ってしまえば、次の時代を準備することも
できなくなります。
ですので、「近代的思考に捕えられた国家」がなくなるまで
自分の社会を守るために、一定以上の防衛力は必要と考えます。

二つ目は「核兵器」の問題です。
この兵器を使用させないことが、
人間を次の時代、『新生代』へと向かわせるためには必須
だと考えます。「核兵器」を持つことは、その国を「近代」
の枠におしとどめてしまうことです。
「核の脅威には核を」などという発想が
いかに愚かな事か、・・・少し考えればすぐわかることです。
「反核」を旗印に、粘り強く平和を訴え続けるべきです。

三つ目は「死の死」の問題です。
医療科学が日に日に進展し、
「お金さえあれば当面の死を回避できる」
という日がもうすぐくるでしょう。
そうなったときに我々の社会は小さくないパニックに
おそわれるでしょう。
「生命を守る」ための犯罪行為が、社会に蔓延するでしょう。
それを抑制できるかどうか。それは『人間性』そのものと
我々がどれだけ向かい合えるのかにかかっています。

これら三つの問題の他にも、『環境問題』など、我々人間が直面している、
多くの問題があります。これらを超えて、我々が無事に「近代」
を脱出して「新生代」を迎えられるかどうか・・・
それこそ今を生きる我々自身にかかっていると僕は思っています。

=== === === === === ===

モノ-ガタリと人間の関わりについては、ブログの「存在とナラティヴ」
を参照してください。少し長いですが。
また、これからの時代の「平和」について、「平和な世界に向けて」
という文も載せました。ご参照下さい。
(ブログ冒頭から下にスクロールして、「存在とナラティヴ」や「平和な
世界に向けて」の題字をクリックしてください。ブログは下記から。)
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未来へのモノ-ガタリ(1): ディズニーパークと未来 - 野中

2025/02/07 (Fri) 18:15:58

ウォルト・ディズニーは、
「ディズニーランドに完成というコトバはない。つねに進化していく」
と言ったと言われています。
じゃあ、今後、世界のディズニー・パークはどう変わっていくでしょうか。

確実に言えそうなことは、ディズニー・パークがこれから
ますます人々を集めそうだということです。
人々は「本質的な幸福」を求めて
ディズニー・パークにやってきます。
つまり、ディズニー・パークは「幸福の場所」なのです。

そして不幸を感じる社会に、わざわざ居たいと思う人はいないでしょう。
すると、ディズニー・パークがさらに人々を集めると同時に、
社会の中に「ディズニー的なもの」を取り込んでいこうとする
動きが加速して行くことになると思います。

ディズニー的な「思いやりの心」を育もうとする学校。
ディズニー的な「やさしさ」を大切にする病院。
ディズニー的な「関わる人の気持」に配慮する企業。
など、社会組織自体にも、改革の手が加わってくると思います。

それが「ディズニー的なモノ-ガタリ」の力です。
自分が幸福になりたい、と思うだけでなく、
みんなが幸福になれば素晴らしい、と思うその熱意が、
世界を変えて行くと、僕は思っています。

明日へのモノ-ガタリ(66): モノ-ガタリは - 野中

2025/01/30 (Thu) 20:16:27

モノ-ガタリは、人間にとって根源的なものです
人間は世界をモノ-ガタリとして捉える傾向がありますし、
モノ-ガタリとして世界を捉え続けることで人間は幸福になれます。

モノ-ガタリは、情報としては、状況(3次元)+時間の、4次元データ
です。つまりモノ-ガタリについて考えることは、4次元のデータを
意識の中で動かしていることになります。

これをあまり深いレベルでやらず、「楽しみ」の範囲でやるなら
幸福感は膨らみ、気分は安定します。
つまり、ディズニー・パークで人々が幸福な気分になるのは、
適度な距離を保ちつつモノ-ガタリに触れているからです。

けれど、モノ-ガタリについて真剣に考え始めると、
様相は一変します。
「雲をつかむよう」という表現がありますが、
まさにそんな感じになってしまうのです。

その理由は、結局、「人間には4次元を超えることは分かりにくい」
っていうことなのかな、なんて思っています。
ここ10年近くモノ-ガタリについて考え続けて来て、
なかなか前に進めないのは、そのせいかも知れません。
まあ、僕個人の努力不足・能力不足も
なくはないのでしょうが。

明日へのモノ-ガタリ (65): ディズニーの優しさ - 野中

2025/01/30 (Thu) 03:24:15

ディズニーのモノ-ガタリは、一つ一つは
それなりに起伏があり、それなりに毒もあります。
けれどそれが集まったディズニー・パークは
とてつもなく優しい場所です。

それが現実離れしていることに、物足りなさを
感じる人もいるでしょう。
実際、今、僕は個人的にとてつもなく不幸な状況に居て、
正直、その状況を脱するために、
ディズニー・パークは何にも役に立ってくれません。

それでも、今現在、たくさんのディズニーを楽しんでいる
人たちがいることは、心の救いになっています。
この地球上に、笑顔が溢れている場所がある、
そのことは、心の一隅を少しだけ暖かくしてくれます。

「そうだ、何とか立ち直って、またディズニー・パークを楽しむぞ」
そんなふうに、今は思っています。

明日へのモノ-ガタリ (64): トランプの物語 - 野中

2025/01/20 (Mon) 21:38:32

明日、アメリカ大統領にトランプが就任します。
「トランプ劇場」は、もうすでに始まっています。
グリーンランドを米国領にする。パナマ運河を取り戻す。
などなど・・・落ち着かない世界になりそうです。

トランプの政策は基本「アメリカさえよければ」というものです。
その意味でとてもわかりやすいです。
トランプの本音を言えば「白人男性中心の国・アメリカ」
なのではないでしょうか。

トランプは「アメリカを再び強大に」
というモノ-ガタリを前に押し出して大統領選を戦いました。
その「強大な国」のイメージはベトナム戦争に突入前、
1950年代の、豊かだったアメリカがモデルになっているのでしょう。
それはきっと、その時代に育った
トランプの少年時代に大きな影響を
与えたように思えます。

「4年間に渡るアメリカの衰退は終わった」
と広言するトランプのモノ-ガタリは
「カナダを51番目のアメリカの州に」
などと、「モノ-ガタリの相手側」を傷つけることには
全く考慮に入れない、「悪いモノ-ガタリ」です。

今後とも、トランプ大統領の動向には最大限の注意が
必要だと考えています。

明日へのモノ-ガタリ (63): アメリカの幸福 - 野中

2025/01/09 (Thu) 03:11:41

アメリカ人の幸福に、ディズニーがどれだけ貢献しているのでしょう。
ディズニー・カンパニーができて100年以上。
そしてディズニーランドが出来て、今年で70年です。

ディズニーランドに行く幸福ってどんなものでしょうか。
僕は「モノ-ガタリに囲まれている楽しさ」だと思っています。
ちょっと面倒な言い方をすれば、
「人は世界をモノ-ガタリの連環として捉えている」
わけです。だからモノ-ガタリに囲まれている
ディズニーランドに行けば、そこに居るだけで、
幸福な気分になれるのでしょう。

その意味で、ウォルト・ディズニーは、
「モノ-ガタリの解放」を、世界で初めて
やってのけた人なのだと、つまりは
「具体的な幸福な場所」を創設した人なのだと
そんなふうに思っています。

ディズニーランドができた1955年頃、
こんな言い方が、アメリカの家庭で、よくされたそうです。
「いい子にしていたら、ディズニーランドに連れてってあげる」
ほとんどの子供は、全力で「いい子」を演じたみたいです。

もはやアメリカだけではないですね。
東京で、パリで、香港で、上海で、
人々はディズニーのモノ-ガタリに接して
幸福な気分になっています。
無条件でディズニー・パークを賞賛するつもりは
ありませんが、ディズニーがなかったら世界は今より
ずっと「不幸な人」が多かったのでは、と
そんなふうに思います。

明日へのモノ-ガタリ (62): 不幸の源泉 - 野中

2025/01/01 (Wed) 10:52:07

たまには、直球も投げたいと思います。
この世界で不幸を作り出しているのは、
「悪いモノ-ガタリ」です。
「貧しいモノ-ガタリ」とも言います。

一般に言われる「物語」には、良い悪いはありません。
あるのは「おもしろい」「つまらない」の区別ぐらいです。
けれどもモノ-ガタリ、とりわけ個のモノ-ガタリである
ナラティヴには、悪いものがあります。
それは「他者のモノ-ガタリ」を傷つけるモノ-ガタリです。

たとえば、現・ロシアの政権は、「ウクライナはロシアに属すべきだ」
というモノ-ガタリの中で、ウクライナ侵攻を開始しはじめました。
そのモノ-ガタリはウクライナという国や文化を傷つけるどころか
抹殺しようとする、完全な「悪いモノ-ガタリ」です。

たとえば、ドナルド・トランプは、「アメリカ・ファースト」を叫び、
大統領選挙に勝利しました。
この「アメリカ・ファースト」は、アメリカに関わる他の国の、
モノ-ガタリを大いに傷つけるもので、「悪いモノ-ガタリ」と
言えるでしょう。

そう、簡明に言えば、「悪いものは悪い」のです。
僕は、「悪いモノ-ガタリ」こそ、
この世界の不幸の源泉だと考えています。

明日へのモノ-ガタリ (61): 百年前、百年後 - 野中

2024/12/30 (Mon) 00:58:37

もうすぐ2025年です。
1925年からちょうど100年。
つまり治安維持法と普通選挙法が
制定されて1世紀が経過したという事です。

これからの100年を考えようとするとき、
これまでの100年がどうだったのかを回想することが
とても大事になると思います。

もちろん時代の変化は
どんどん速まってきていますので、
100年後について、素朴に予測することは
不可能だと思いますが、
100年後はこうあって欲しいと願うことは
できると思います。

とりあえず「治安維持法」について考えてみます。
1925年(大正14年)法律はこうなっています。
「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ
目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ
加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」

これは平たく言えば
「国を批判する組織は無制限に弾圧できる」
という恐ろしい法律であり、この法律を
きっかけの一つとして、日本と言う国全体が、
「戦争肯定」へと進んでいったのです。

大平洋戦争の冒頭で、日本は、ハワイの真珠湾攻略、
マレー沖海戦の戦艦攻撃など、立て続けに勝利し、
日本全国、勝利を祝う提灯行列で、
沸き立ったと言われています。

戦争はスポーツではありません。
勝つことは人々を愚かにするのです。
負けて死んで行った者たちの苦しさや悲しさに、
勝った国の人々は思い至りません。

1925年の治安維持法制定から、
太平洋戦争の敗戦までわずか20年です。
一つの法律が戦争をもたらした、
とまでは言えないでしょうが、
もしこの法律がなければ、ああまでどっぷりと
「戦争」に浸かってしまうことは
なかったはずだと思います。

これからの100年を想う時、
このことをしっかり考慮にいれて置かなければ
ならないのだと、僕は考えます。

明日へのモノ-ガタリ (60): モノ-ガタリ的充足度 - 野中

2024/12/20 (Fri) 04:05:58

いつも「経済的価値観はもう時代遅れ」などと言っているので、
少しずつ、モノ-ガタリ的な価値観を明確にして、
できれば数値化できたらいいな、などと考えています。

とりあえず叩き台です。いずれも5点満点でつけます。
A 親密な人たちとの良好なコミュニケーション。
B 健康の状態。
C 内的なモノ-ガタリの状態。
D 経済状況。

なお、いずれも③が「ふつう」です。
それぞれを二乗して合計します。(100点満点)

なお、僕の場合は
A-2、B-2、C-5、D-2 なので
2×2+2×2+5×5+2×2=37(点)
なかなか厳しい数字でした。特にAとBがダメですね。
何とか改善して、
A-4、B-3、C-5、D-2 ぐらいにして合計54点
つまり半分ぐらいの充足度
にしておきたいです。がんばります。

なお、Dについては、
5・・・今後ともお金に困ることはなさそう。
4・・・10年後にもふつうに生活できていそう
3・・・ふつう
2・・・何とか生活が成り立っている。
1・・・とても普通の生活とは言えない。
というふうに評点すればよいと思います。

明日へのモノ-ガタリ (59): 夫婦別姓 - 野中

2024/12/04 (Wed) 05:06:41

名前というのは、その人のモノ-ガタリを示す
ラベルのようなものです。
つまり、現状は、結婚すると、無理矢理、
同一のラベルのモノ-ガタリに変えられてしまうのです。

それは、ナラティヴ(個のモノ-ガタリ)の抹殺に等しい
「強制」であると思います。
つまり日本の現行の制度と習慣では、
女性だけが「一貫して自分自身として生きる権利」
を剥奪されているとみなしていいと思います。

これでどうやって、「自分らしく生きる」ことを
目指せるでしょうか。

選択的夫婦別姓の制度は、その意味で、
一日でも早く、導入されるべきだと
考えています。
これからはナラティヴ(個のモノ-ガタリ)が尊重
されていく時代です。
ナラティヴのラベル自体がきちんとしていなければ、
その新しい時代に進みようがありません。

明日へのモノ-ガタリ (58): 虚飾と本質 - 野中

2024/11/29 (Fri) 20:08:54

ファッションは「虚飾」なのか?
なかなか微妙な問いだとは思いますが、
「飾らないお洒落」もあるように、
ファッションは結構、奥深いものがあるように思います。

ファッションは結局、自分の世界観の外部への
表出ということなんだと思います。
例えば、芸能人が派手な服装や目立つ装飾品を
纏うことは「注目を浴びる」ことが仕事の彼らにとって、
ごく当たり前のことですし、そういうのは
明らかに「虚飾」にはならないと思います。

では、本来的な「虚飾」とは何なのか?
それは多分、「自分のナラティヴを偽って生きる」
ことでしょう。

そう考えて見ると、人間の本質は、その人の持つ
ナラティヴ(個としてのモノ-ガタリ)ということに
なりそうです。そして虚飾とは、自分の本来の
ナラティヴを捻じ曲げて外部に表出していることに
ほかなりません。

虚飾によって本質と違う捻じ曲げられた外部表出を
行っている人と、我々は真の意味で仲良くすることは
できません。
人はナラティヴで関わるものだからです。

=== === === === === ===
モノ-ガタリと人間の関わりについては、ブログの「存在とナラティヴ」
を参照してください。少し長いですが。
また、これからの時代の「平和」について、「平和な世界に向けて」
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明日へのモノガタリ (57): マス・コミへの信頼 - 野中

2024/11/21 (Thu) 10:51:48

マス・コミ批判が相次いでいます。
不倫報道の扱いや、パワハラ事案の報道、
果ては世界情勢の分析まで。
でも、個人的にはSNSのデマの方がずっと怖いです。

SNSの記事では「目立つ方が読まれる」
「目立つ方が儲かる」という、ところから、
自ずと、虚偽の情報を流したり、「ええっ」という
見出しをつけることが多いようです。

戦争状況のデータなどをSNSで毎日チェック
していますが、「ロシア壊滅」という見出しを何度も
見かけました。そしてその記事の中身はというと、
「××氏は、このままだとロシアは壊滅すると、語った」
などとなっていて、見出しの論調と全く違うことが、
書いてあります。
特に「広告」で、ひどいものが目立ちます。
たとえば「東京大学の研究で」などという記事で、「東」の字が、
日本で使われていない略字のものが使われていて、明確に
詐欺まがいの商品だと分かったりします。

現在のマス・コミが偏向しているとされるのは、
これまでが「信頼されすぎ」ており、その信頼の上に
安住してきた、という歴史があるせいだと思います。

しかしマス・コミの発信は、いわば報道のプロであり、
明確な虚偽報道は、その報道機関の決定的な汚点と
なりますし、虚偽でなくても名誉棄損となることも
少なくありません。つまり、マス・コミの報道は、
SNSの「惹きこみ記事」に比べれば、
虚偽の率は低いと考えていいのだと思うのです。

最近の「マス・コミ不信」の傾向は、ある意味正しい
部分はあるとは思いますが、「SNSよりはずっとまし」
という感覚は必要だと考えます。

明日へのモノガタリ (56): 政治の貧困 - 野中

2024/11/12 (Tue) 12:46:12

アメリカでは、ドナルド・トランプ氏が
次期大統領に選出されました。
「自国ファースト」を宣言したわけです。
じゃあ日本はどうなんでしょう。

今回、アメリカ国民が何を選んだことになるのか。
さまざまな解釈が可能でしょうが、僕は、
「よく見えない未来より、1950年代の過去、
つまり、全世界で独り勝ちした強いアメリカ
という過去の栄光を選択した」のだと思っています。

アメリカという国は「世界一」にこだわって来ました。
だからいつもナンバー2を叩いて来たのです。
冷戦時代のソビエト。1980年代の日本。現在の中国。
・・・つまりナンバーワンの自国を脅かすものはすべて
「敵」だというわけです。

この感覚が極めて貧しいものであることは明白です。
今回の選択で、アメリカが「近代」末期の断末魔の
時期を乗り越えられない存在
であることが明確になったと思います。

日本とすれば、動きは楽になったと思います。
アメリカが過去に囚われ、「近代の閉塞」に身動きが
取れなくなったのを尻目に、
いち早く「近代」から「新生代」へ脱皮し、
世界のリーダーとなるべく、
内外ともに改革を推し進めていけばいいのですから。

まあ、そのためには、日本の中で最も遅れた部分、
「政治」をさっさと刷新しないといけないですが。

=== === === === === ===
モノ-ガタリと人間の関わりについては、ブログの「存在とナラティヴ」
を参照してください。少し長いですが。
また、これからの時代の「平和」について、「平和な世界に向けて」
という文も載せました。ご参照下さい。
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明日へのモノガタリ (55): 散歩しよう - 野中

2024/11/01 (Fri) 15:30:27

散歩しましょう。
といっても、ただ歩くだけではないのです。
ぼんやりと、
歩きながら考えましょう。

歩くことはすごいことです。
近代の思想家として著名な
ジャン・ジャック・ルソーは自伝的著書の「告白」で、
こんなふうに言っています。(桑原武夫・訳)
─────────────────
ひとり徒歩で旅したときほど、ゆたかに考え、
ゆたかに存在し、ゆたかに生き、あえていうならば、
ゆたかに私自身であったことはない。
徒歩は私の思想を活気づけ、
生き生きさせる何ものかを持っている。
じっと止まっていると、
私はほとんどものが考えられない。
私の精神を動かすためには、
私の肉体は動いていなければならないのだ。
─────────────────
じゃあ、どこを歩いたらいいのか・・・・
僕はディズニーシーをお勧めします。
のぼりくだりが意外に多いので、割に疲れますが
景色の豊かさは抜群です。
一人で歩けば豊かに考えられますし、
二人で歩けば・・・・・・。

明日へのモノガタリ (54): キャベツ畑で - 野中

2024/10/31 (Thu) 02:06:59

キャベツ畑でキャベツが取れた。
ひいほい、ひいほい
たくさんいたよ
だけどさ、すごくおいしいキャベツなんで
青虫さんがたくさんついちゃったんだ。

しかたないんで
オレはさ、青虫さんたちに
相談したのさ。
もしよかったら、みんなこの端の
キャベツだけに集ってって

青虫さんさんたちは
ああいいよって言ってくれて、
よるのうちに、
畑の一番端のひと畝(うね)に
わさぐちゃ、わさぐちゃ
青虫さんたちは集って来た。

そして、食べた食べた食べた。
わさわさ、わさわさ
一月したら、畑の端のキャベツは、
青虫さんたちがみんな食べてしまった。

だけどさ、急におとなしくなっちゃったんだ。
そして、青虫さんたちは、
みんな蝶になって飛んで行った。
オレはなんとなくうれしかったさ。

明日へのモノガタリ (53): ノーベル平和賞 - 野中

2024/10/24 (Thu) 02:35:50

今年のノーベル平和賞を
日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会
が受賞しました。
これは、核廃絶に向けて、日本への「もっとがんばれ」
という、世界からのエールなのだと思います。

不幸な事ですが、日本の反核兵器運動は、何度も
分裂・対立を繰り返し、そのたびに反核への
エネルギーを減殺して来ました。

それでも日本の反核運動の灯が消えなかったのは、
日本人の心の底にある、人間に対する信頼と、
核兵器に対する憎悪の感情によるものだと思います。

僕は日本人のアイデンティティは、戦争を憎み、
平和を祈る心だと思っています。
だからこそ憲法第9条は
変えてはいけないものだと考えます。

「核なき世界」・・・これは理想論などではありません。
早急に実現しなければ、世界が滅ぶ、
そういった、極めて現実的な目標なのです。
その実現を目指して、一刻も早く、
「非核連合」を立ち上げて欲しいと思っています。
ノーベル賞受賞を無為に終わらせないためにも。


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