日頃、『明るい話』を中心に掲示しているので、少し疲れました。
たまにはホンネを、というわけで、『モノガタリの闇』みたいな
『対話』を、掲載することにしました。
あまり楽しいとは言えないと思いますが、まあ気が向いたら
読んでみて下さい。
H・・・男の人。発言は「…」 で示します。
U・・・女の人。発言は『…』 で示します。
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<<発端>>
「だからさ、オレは思うんだ。オレたちはなぜこんなふうに中途半端なことばかりやってきてしまったんだってさ」
『そうよね。なにかものすごく行儀よくなっちゃったもんね』
「うん。オレたちはもっとずっと極端な、スッキリした話をしたかったはずなんだよ」
『どうしてこんなふうになっちゃったの』
「まあ、モノガタリがそれだけ難しいっていうわけさ」
『難しいのは分かるけど、それをちゃんと背負わずに、口当たりのいいコトバでごまかし続けてきたってことよね』
「そうだな、だったらこの際、膿を出してしまおうぜ」
<<死について>>
『結局ね、わたしたちって、「死」の意味から逃げていたっていうことなんじゃないの?』
「そうかな。そうでもないと思うぜ。だってさ、オレたちは『死』のデータを全く持っていないじゃないか。知らないことを追究するわけにもいかないぜ」
『わたしが言いたいのはそこじゃないのよ。わたしたちが結局、「死」そのものから逃げていたんだと思うのよ。もっと切実に「死の運命」について、問いかけて行かなければ、本当の事は分からないと思うの』
「うーん、それってひょっとして『死の死』について、もっと積極的に議論しろっていうことなのか・・・あんた『死の死』について、どう思う?」
『「あんた」って何よ。いつからわたしは、キミとそんなに近いポジションになっちゃったの?・・・いい加減にしてよ』
「うげっ、わかりましたよ女王様、けどさオレだって少しは物を考えてるんだ。そんなゴミみたいな言われ方しなくていいだろ」
『はいはい分かったわ。それで「死の死」ね。つまり死という事実がなかったことにされるような時が来たっていうことでしょ?』
「そうだぜ。それってものすごく危険なことだぜ。『考える生命』としての、切り札的な武器がなくなっちゃうってことだからさ」
<<死についての対話>>
『なーにその悟ったような言い方。もっと「死」を怖がりなさいよ』
「うーん、そうだよな。たしかに、じゃないと誰かが言っていた『昨日甦りし者の如く、今日を生きよ』なんていうコトバもさ、全然迫力ないぜ」
『だからさ、あんた何言ってんの、迫力ないのはあんたじゃないの』
「はははっ、まあそうだね。オレってさ、アホな割に、妙に悟っちゃってるからね。人の死は耐えられないぐらい悲しいけど、オレ自身の死はさ、あんまり悲しくないのさ」
『まあ、十分生きて来たものね。でも飽きてきたわけじゃないのよね』
「そうだぜ。少しずつ気力も回復してきたしね。もう少ししたら、女王様に勝てるかも知れない」
『そうよね。あんたバカだけど、パワーだけはあったから』
「ああ。なら、何とか『死の死』を、死の意味と一緒に考えて見よう」
『でさっ、「死の死」ってホントに来るの?』
「来るよ。まあ本格的にはあと100年ぐらいかかるかな。でもそれはじわじわとやってくる。そしていつか……」
『待って待って! 慌てないで、まず死の意味から考えない?』
<<死の意味>>
「まあいいけど、死なんてさ、オレにはありきたりすぎて、うーんいまさらなんだよな」
『違うよ、あんた逃げてるだけでしょ。ずるいし、怠惰だし』
「いやオレは少なくとも『死』に対してはマジメに向かい合ってるぜ。たとえば、『昨日甦りし者の如く、今日を生きよ』なんて、結構実践してるしさ」
『ポーズだけよ。あんたが言い訳ばかりのバカだなんて、もう分かりきってるもの』
「おいおい、そう追い詰めるなよ女王様。オレだって生身のニンゲンなんだし、四六時中死を意識の中に置いておくわけにもいかないんだ」
『わかったわよ、カンベンしてあげる。それにここで「死の意味」と言っても、あなたにとっての死、ではなく、社会にとっての死、という意味だから』
「うーん。そうだな。社会の中で『死』ぐらい、いい加減に扱われているコトバもないしな」
『死んだらおわり。そう思っちゃってる人は多いわよね』
「それはさ、合理主義のせいだろ。死んだ後の世界なんてさ、誰も見た事ないしさ、合理主義者は、見えるものについては必死で、どうしてそう見えるのか考えるくせにさ、見えないものについては、あっさり『そんなものはない』って切り捨てちゃうからね」
『つまり「死」は今の合理主義がはびこる世界では無意味なものになっちゃってるのよ』
「死が終わり、の時代は、本当に不幸な時代だよな」
『あんたは、「リメンバー・ミー」っていう映画を知ってる?』
「ああ、知ってるよ、女王様。ちょっと前のディズニー映画だろ」
『そうなの。あの世とこの世と、行き来する物語なの』
「そうか、モノガタリは『死』で終わりじゃないからな」
『そう。それでね、モノガタリがあるっていうことは、実際に「死」の世界が、確実にあるっていうことなのよ。どれだけ悲惨で無残で苦しいとしても』
「なるほどね、じゃあさ、今の時代ってさ、とにか『死』を意識の外に追いやるだけで、真剣に死と向かい合ってはいないんだよな」
『そうなの。だから死は今の時代では、ピリオドでしかないのよ』
「うーん。オレはもっときちんと、『死』を捉えないと、ちゃんとした社会なんて出来ないと思うけど。
<<死の死の事態>>
『それでさ、「死の死」なんていう問題が出て来るのよ』
「それって、死を遠ざけようとして『死なないニンゲン』になろうって言う、なんか気味悪いやつだよな」
『でもそれだけじゃないの。自分のモノガタリを辿っている時、中途半端で死にたくない、っていうことあるじゃない。そういうとき、死を遠ざけたいと思うわけよ』
「ああ確かに。死が終わりでなくても、一つの切断であることは確かだぜ。だから『今はまだ死にたくない』って思うヤツは確実に居るよな」
『そう。だからね、この「死の死」は確実にやってくるのよ。でもね、「死の死」のありようは、「次のモノガタリ」があるかどうかで全然、意味が違うの』
「あっそうか。『死んだらおわり』って思っているヤツらに、『死の死』を見せつけたら、暴動が起きそうだな」
『そうなの。もしこのまま「死の死」が実現したら大変よ。生き残りたかったらお金がいる、そんなことになったら、社会は持たないわ』
「うーん。誰だって生き残るのに全力を賭けるようになっちゃったら、殺人だって平気になるよな」
『こういうことなの。人々が小さな船に乗って河を下っていく。そしてその先には断崖が待っている。それでね合理主義の人たちは、その断崖の先は「無」だと思っちゃってるの。大して考えもしないで』
「なるほど。分かったぜ女王様。要するに『死』をモノガタリの中にきちんと取り込んでいない合理主義の社会だと、醜い争いが起きて、社会が滅びてしまうっていうことだろ」
『まあ、だいたいそんなところね』
「まあ、とりあえずは、オレもきちんと『死』を見据えて、オレのモノガタリの中にしっかりとおいて置くことにするよ」
『そうね、それでいいと思うわ』
「了解だ、女王様」
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モノガタリと人間の関わりについては、ブログの「存在とナラティヴ」
を参照してください。少し長いですが。
また、これからの時代の「平和」について、「平和な世界に向けて」
という文も載せました。ご参照下さい。
(ブログ冒頭から下にスクロールして、「存在とナラティヴ」や「平和な
世界に向けて」の題字をクリックしてください。ブログは下記から。)
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