学校って、本来楽しい所です。
学校って何を学ぶところなのか?
簡単です。いろんなモノ-ガタリを学ぶところなのです。
だから本来、学校はすごく楽しい所のはずなのです。
学校でいろいろなモノ-ガタリを知って、
自分なりに考えて、自分のナラティヴ(個としてのモノ-ガタリ)
を少しずつ作り上げて行く、こんな楽しいことはありません。
いちばんモノ-ガタリとは遠そうな数学から考えてみましょう。
古代のピタゴラス学派は「この世のすべては数字で示せる」
なんて考えていたみたいです。
数学のモノ-ガタリは、最初はすごく分かりにくいです。
式の計算やら因数分解やらで、「ナニコレ」の世界です。
けれど微分積分までくると、そのモノ-ガタリがパッと
見えて来ます。
それは今から3~4世紀前の学者たちが必死になって
がんばってくれた成果です。名前で言うと、
ニュートンやライプニッツと言った人たちです。
微分積分をやっていない人に説明すると、
要するに『変化』というものをそれまでよりずっと
鮮明にするのです。
要するに、微分積分は『変化専用の虫メガネ』
みたいなものです。
その虫メガネを手に入れた時、僕はあまりの
うれしさに泣いてしまいました。
なぜそれまで数学をやらされてきたのか、
一気に分かったような気がしたからです。
いうまでもないことですが、他の教科はもっと直接
モノ-ガタリと関わっています。
たとえば英語です。
ディズニー映画の「ハイスクール・ミュージカル2」
で主題歌のように唄われる、
You are the music in me.
という曲がありますが、僕はこの「in me」に何だか
ものすごく感動してしまいました。
訳すとしたら「私の認識領域のすべて」とか
「私の内的世界のすみずみまで」などというふうに
なるのでしょうか。コトバのモノ-ガタリの奥深さを
思い知らされた気がしたものです。
ともかく、実は学校で教えている教科はすべて「楽しいモノ-ガタリ」
にかかわるものなのです。
つまり学校で教わっていてタイクツなのは、教える先生たちが
「仕事」として、ひいては「近代合理主義的ルーティン」として
教えてしまっているからなのです。
もうすぐ「近代」が終わります。(いや、「終わらせるべき」と言った
ほうがいいのかも知れませんが)、そうなれば学校は今よりずっと
楽しいものになり、『生徒を選ぶ学校』から『生徒が選ぶ学校』へと
変わっていくと思います。
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モノ-ガタリと人間の関わりについては、ブログの「存在とナラティヴ」
を参照してください。少し長いですが。
また、これからの時代の「平和」について、「平和な世界に向けて」
という文も載せました。ご参照下さい。
(ブログ冒頭から下にスクロールして、「存在とナラティヴ」や「平和な
世界に向けて」の題字をクリックしてください。ブログは下記から。)
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